2017年 07月 22日
鬼平犯科帳sp版 「雲竜剣」から 鰻の蒲焼 |
雲竜剣・・・妖剣が鬼平を襲い 平蔵の手下も続けて二人殺されてしまう
ナレーション
深川や本所では 鰻の辻売りも珍しくない 平蔵が若い頃には 丸焼きにして山椒味噌などを塗りつけただけの謂わば下世話な食い物であった
動画サイトから拝借
確かに 鬼平犯科帳や他の時代劇をみていても 「〇焼」という幟が散見する
蒲焼という言葉は 1399年(応永6年)の『鈴鹿家記』が初めてらしい
その昔 室町時代の食文化の中心は京都
当時の調理方法はうなぎを長いままを丸々1匹串に刺し 塩をつけて焼いて食べるという単純なものだったらしい
裂くようになったのは 1700年頃の江戸時代に入ってから
雲風子林鴻著『産毛』に京都四条河原での夕涼みを描いた絵に「鰻さきうり・同かばやき」と書かれていることから推測されている
関東では 1800年代の文化文政期のころ現在の蒲焼のルーツがあるらしい
ナレーション
深川や本所では 鰻の辻売りも珍しくない 平蔵が若い頃には 丸焼きにして山椒味噌などを塗りつけただけの謂わば下世話な食い物であった
確かに 鬼平犯科帳や他の時代劇をみていても 「〇焼」という幟が散見する
蒲焼という言葉は 1399年(応永6年)の『鈴鹿家記』が初めてらしい
その昔 室町時代の食文化の中心は京都
当時の調理方法はうなぎを長いままを丸々1匹串に刺し 塩をつけて焼いて食べるという単純なものだったらしい
裂くようになったのは 1700年頃の江戸時代に入ってから
雲風子林鴻著『産毛』に京都四条河原での夕涼みを描いた絵に「鰻さきうり・同かばやき」と書かれていることから推測されている
関東では 1800年代の文化文政期のころ現在の蒲焼のルーツがあるらしい
by watanabe-photo-st
| 2017-07-22 06:30
| 鬼平犯科帳の世界